泣き虫が羽ばたくとき(前編)

父と母は、癌を患って逝った。

父は79歳だった。


癌が見つかった時は全身が癌だらけで、余命が僅かだった。
癌さえなければ、長生きできたのに。
私は父が大好きだったから、長生きして欲しかった。
長生きをして、孫の結婚式に参列して欲しかった。
だから癌が憎かった。

父が倒れた日、従兄弟から電話が入った。
「お父さんが・・・」と聞いて、嫌な予感がした。
従兄弟がぐったりしている父を見つけて病院に運んだ。
肺癌の一番悪い状態と診断された。と聞いて、言葉が出なかった。


この前、電話で話をしたのはいつだっけ?
さいごに会ったのはいつだっけ?
こんなになるまで、なんで気づかなかったんだろう。
煙草を吸っていたし、
体調に関心が薄かったからしょうがないのかなあ
あとどのくらい生きられるんだろう・・・


とにかく、急がなくては。
着替えと洗面道具をパックし、2泊3日の予定で仙台から高知に飛んだ。
このコンパクトな身の回り品で、1ヶ月間を高知で生活することになっていく。


仙台の家から病院までの道中は記憶が残っていない。
記憶が始まるのは病院に着いてから。
父は集中治療室のベットで寝ていた。
骨と皮だけになり痩せ細っていた。


主治医から
「癌が全身と脳に転移しているので余命は1ヶ月です。」
と説明があった。
一瞬に、生まれてから今までの父との思い出が走馬灯のように蘇ってきた。
この先、何が起ころうとしているのか理解ができなかった。
心臓がバクバクなった。


薬が効いているせいもあって、父はずっと眠り続けていた。
ぼーと父の顔を見ていた。
何時間経ったのだろう、父の目が開いた。
弱っているけど、私のことが分かってくれて嬉しかった。


おしゃれだった父の顔は髭でボウボウになり、
倒れる前はよっぽどにしんどかったことが伺える。


髭を剃り眉毛を切ってあげると、昔と同じ笑顔が見えた。
看護師さん達からも
「さっぱりしていいですねー」
と声をかけられ、喜んでいた。
看護師さんは父と私が夫婦だと勘違いをしていたらしい。(笑)


消灯時間まで付き添い、ホテルに泊まることにした。
チェックインをしても、緊張とこれからの不安が押し寄せてきて眠れなかった。
フロントの自動販売機でビールを買う。
アルコールに助けらて、どうにか眠れた。


夜中にけたたましい電話音が鳴り目が覚めた。
登録していない電話番号。
発信番号は、高知市の市外局番。


嫌な予感がした。
ドキドキして電話にでた。
主治医から直接の電話だった。


電話口の声が主治医だと分かったとたんに
父の命?
と最悪のことを考えてしまった。
家族に電話連絡をする場合は看護師が電話をかけ、医師に変わることが多いから。


容体が急変し、緊急処置が必要で、その同意が必要ということだった。
処置をしないと命が危ない。
危険を伴う処置なので助かるかどうかは分からなくて、助かる確率は半分。


主治医に向かって次々と質問を投げた。
電話の向こう側からは、淡々と答えが返ってくる。
私は、それを思考で咀嚼していった。


実際に処置をするかしないかの決定は、医師にはできない。
決めるのは私しかいない。


この時、一人の孤独を感じた。
夫は仙台、母は介護施設、妹は海外旅行中。
決められなくて困っていたのではない。
誰かに、夫に側にいて欲しかった。


主治医にお願いして、少しだけ時間をもらうことにした。
父に会ってから決めようと思った。


急いで病院に駆けつけると、父は予想以上に苦しんでいた。
それを見て、覚悟を決めた。
処置を受けることに同意した。


リスクが高かった処置は成功し、父は生き延びた。
私の決断が正解となったのでほっとした。


危篤になったことで、
宣告されていた余命1ヶ月がそのままなのか、短くなったのか・・・
怖くて、医師には聞けなかった。


次の段取りは、今後どうするかを決めていくことになる。
父の側にずっと付いていたい、付いていてあげたいと思った。
病院前のホテルに移動し、呼び出しの時に数分で駆けつけられる体制を整えた。


おとなになってから、漠然とではあったけど、父と母を看取りたいと思っていた。
仙台に嫁ぐ時にその思いは諦めていた。
距離的に遠すぎるからだ。


でも今は高知に戻ってきている。
今の時間が父との最後の時間になるはずだ。
弱りきっている父を置いて、仙台に帰ることは私には辛過ぎてできなかった。


夫に相談したら、
「家のことは心配しないでいいから、気がすむまでお父さんの側にいたらいい。」
と言ってくれた。
小さかった娘たちも、仙台から応援してくれた。


父のベットサイドにいる時には、明るく過ごした。
夜、ホテルの部屋で一人になると不安と悲しさが押し寄せてきた。


いろんな思いが噴き出てきた。
小学校の参観日に来てくれた時に他の家は全員がお母さんだったので恥ずかしく思ったこと。
思春期に父に反抗したこと。
結婚したい人がいると伝えた時の父の顔。
孫たちをとても可愛がってくれた思い出・・・
枕に顔を埋めて大泣きした。


朝は、泣き腫らした顔を整えてから父に会いに行った。
緊急処置から1週間ほどして、父の体力が回復してきて顔色がよくなった。


仙台から孫が会いにやってきたら、とびっきりの笑顔で嬉しそうだった。
みんなで父のベットに腰掛け、ワイワイとおしゃべりしたことが最高の思い出になっている。


活力がでてきたら、主治医との話し合いが必要になった。
癌末期の痛みのこと
癌告知のこと
抗癌剤治療のこと


痛みには鎮痛剤が出されていて、効かなくなると医療麻薬に切り換えていく計画だと説明された。
麻薬で意識朦朧になり、おしゃべりができなくなるのは嫌だった。
こっそりホメオパシーを使い、鎮痛剤は捨てた。
ホメオパシーで癌の痛みに対処できなくなったら、鎮痛剤に頼ろうと考えていた。
運良く鎮痛剤は1回も飲まずにいたので、亡くなる前日も意思疎通することができた。


癌告知は、父にとっては辛いかもしれないとも考えた。
入院後に大量の血痰を吐いていたから、医学的な知識のある父自身は気づいているかもしれない。
私だったら自分の病気のことは知っておきたいので、父にも伝えてあげようと思い、同意した。


抗癌剤治療は即決で断った。


これらは、すべて私の思いと考えだった。
私には妹が一人いる。


鎮痛剤を飲ませていないない。なんて想像もしていない妹。
癌宣告には反対だった妹。
抗癌剤治療を受けさせたかった妹。


妹の思いとは全て真逆のことを選択した。
私が逆の立場だったら、怒り狂って論破していたんじゃないかな。


仲違いしている妹だけど、あの時は私の思うようにやらせてくれていた。
と、今頃気づいた。
おかげで、私は悔いのない看取りをすることができたのだ。
妹には感謝してもしきれいない。


次に移る病院を探し始めないといけないなあと考えていたが、転院の話は無かった。
救急病院なので、医療制度上、入院期間は1ヶ月と決まっている。
その病院では従兄弟夫婦が働いていて、彼らも不思議がっていた。
何故、主治医が転院のことを一度も言わなかったのかは今でも不思議。


父は救急車で運ばれてから、きっちり4週間後、明け方に眠りながら息を引き取った。
大部屋から個室に移ろうとしていた日でもあった。


部屋は6人部屋で、様々な疾患を抱えた人達が日毎に入れ替わっていた。
いくつもの家族の人間模様を赤裸々に見えていて、不謹慎だけど、人間ウォッチングで飽きることがなかった。


面白いイメージがが浮かんできた。
ここは、軍隊の大部屋。
兵隊さん達は訓練の疲れを癒やし、ガヤガヤとおしゃべりをして過ごしている。
みんながそろっていて安らぐ空間。

父は大部屋の雰囲気が好きで、一人部屋には入りたくなかったんじゃないかな。
最後まで賑やかな大部屋に居られて、いい最後だったと思う。


お金がないわけじゃないから個室で贅沢にしてあげた方がよかったのかなと、
後悔した時もあったけど、
父はこっちの世界を好きなように堪能してから、あっちの世界へ行ったんだと思う。


書いていると思い出してきた。
私は26歳で手術を受けた。
お腹の中が血の海になり、命の危篤で意識を失った。
覚えてはいないけど、東京の病院で緊急手術となったらしい。
父が高知から駆けつけ、ベットサイドで見守ってくれていた。
口数が少ない父は折りたたみ椅子に座り、一日中本を読んでいた。


1週間の休暇だった。
日頃、有給で休む父を見たことはない。
仕事盛りの年代で、今の私と同じ年頃。
急に長期の休みをとるのは、結構大変だったんじゃないかなあ。


父が付き添ってくれたので、初めての入院生活はなんなくクリアできた。
薄暗い個室だったので、あの時、一人だったら私は寂さに耐えきれなかったと思う。


父は、娘の私を見守ることを最優先してくれていて
私もそれが心地よかった。
父も私と同じように
「家族と一緒の空間にいる」
ことが好きだったのかもしれない。


今まで気づかなかったけど、
私の「一緒にいたい」は父譲りのようだ。


病気のことでも、見えていなかったものが見えるようになった。


最初は、癌が憎かった。
ただただ、憎かった。
癌さえ、発生しなれば私達家族は幸せに暮らしていたはず。と思っていた。


今は癌のおかげで父を看取ることができた。と思っている。


治る治療法がない「癌」だったから特効薬がなくて、
命が枯れていくのを見守るしかった。


あの世に向かってゆっくりと旅立っていくまでの4週間。
父と一緒に過ごさせてくれた癌には感謝してる。


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