母が臨月で銃声を聞いた夜 ― 私の命のはじまり
こんにちは 三森弥生/生観院鎮守です。
「どうして泣いているの?」
娘にそう聞かれました。
私は答えました。
「感謝で泣いているの」
娘は少し不思議そうな顔をして、
「感謝で泣くの?」
と言いました。
「あなたたちが生きていることに、感謝しているの」
そう言いながら、
私は手にしていた一通の手紙を読み続けていました。
その手紙は、
母が私を産む前に書いた手紙でした。
私が51歳のとき、
思いがけない形で手元に届いたのです。
父と親交の深かったおじさんが、
95歳になり、思い出の品を整理していたときのこと。
箱の中から、
一通の手紙が見つかったそうです。
それは遠いシリアの地から、
母が日本の知人に宛てて書いた手紙でした。
そしてその手紙は、
私が生まれる直前に書かれたものでした。
まるで、51年の時を越えて届いた
タイムカプセルのようでした。

私の生まれは、
中近東のシリア・アラブ共和国、ダマスカスです。
父の仕事で、新婚だった父と母は
現地に赴任していました。
母は、私を身ごもった状態で
飛行機に乗り、シリアへ渡っています。
当時は、今のようなインターネットはありません。
現地の情報源は、たった一冊のガイドブック。
「ブルーガイド」
それを頼りに、
二人は異国の地へ向かったそうです。

手紙には、
臨月の母と父が
もうすぐ生まれてくる命を
どれほど楽しみにしていたかが、
日本の知人に向けて丁寧に綴られていました。
けれど、その手紙の中には
こんな記述もありました。
3月のある日、
ダマスカス市内でテロが起き、
夜中に銃声が響き渡ったそうです。
臨月の母は、
どれほど怖かったことでしょう。
それでも手紙には、
「大丈夫でした」
と、日本の知人を安心させるように
静かに書かれていました。

私が30歳のとき、
父と一緒にダマスカスを訪れたことがあります。
当時、父と母が住んでいたアパートの大家さんと
父は交流が続いていたため、
そこに滞在させてもらいました。
そして、偶然にも
かつて両親が住んでいた部屋が空いており、
中を見せてもらうことができました。
部屋の壁には、
銃弾の跡が残っていました。
「こんなこともあったんだよ」
そう教えてもらったとき、
私は初めて、
両親が生きてきた時間の重みを
実感した気がしました。

そして51歳のとき。
母の手紙を読むことになりました。
当時、娘たちはまだ小さく、
私は涙が止まりませんでした。
そのときに感じていたのは、
- 私の命があることへの感謝
- 娘たちが命を繋いでくれていることへの感謝
- この命を繋げてくれた両親、祖父母への感謝
当時の私は、
命のつながりといえば
その範囲までだと思っていました。

そして今、2026年。
私はソルライツで
魂の学びを続けています。
創始者である蒼師匠が、
全国の鎮魂碑を巡られている姿を通して、
ひとつ深く感じることがあります。
今ここに命があるのは、
血のつながった家族のおかげだけではない。
命を懸けて
日本という祖国を守ってくださった
尊い方々がいたからこそ、
今の私たちの命がある。
そのことを、
今、身に染みて感じています。

話を戻します。
還暦を迎えた後、初めての母の日となる
2026年5月10日。
長野県茅野市で
ひとつの時間をつくろうと思っています。
昼間はバチクルンを行い、
その後、温泉宿に宿泊します。
そして夜、
お母さんへの手紙を書きます。
それは
生きているお母さんでもいいですし、
私のように亡くなったお母さんでも構いません。
書いた手紙に
ソルライツのエネルギーを乗せて
お炊き上げを行います。
命のルーツをたどる時間を、
ご一緒しませんか。
生観院 鎮守(しょうかんいん ちんじゅ)
天導(チューナー)/ホメオパス
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【エネルギー療法家/ソルライツチューナー/ホメオパシー専門家】